名古屋の弁護士 捻橋かおり

労務費の価格転嫁をめぐる独占禁止法と改正下請法(取適法)の規律

独占禁止法や下請法に基づく価格交渉、優越的地位の濫用を象徴する抽象的な天秤のイメージ。ビジネスにおける法務とコンプライアンスの緊張感を表現。

はじめに

弁護士として契約書の作成やレビューを依頼されるときは「価格」は空欄のことも多く、正直あまり注意を払わないことも多いです。しかし、社外役員やアドバイザーとして取締役会に出席するようになると、企業経営において「価格設定」や「価格交渉」がいかに重要な要素であるかを改めて実感します。

現在の経済情勢では、サプライチェーン全体で適切な価格転嫁を進め、賃上げ原資を確保することが大きな課題となっています。本来は企業間の自主的な交渉に委ねられる事項ですが、交渉力の差などによって十分な協議が行われない場面も少なくありません。

このような状況を踏まえ、独占禁止法および下請法(2026年1月施行の改正後は「取適法」)においても、価格転嫁に関する規律が強化されています。本稿では、これら法規制のポイントと実務上の留意点を整理します。

価格転嫁に関連する独占禁止法の規定について

優越的地位の濫用への該当可能性についての公正取引委員会のQ&A

独占禁止法は不公正な取引方法を禁止しており、その一つに「優越的地位の濫用」(独占禁止法2条9項5号)があります。

優越的地位濫用の一形態として、公正取引委員会の「優越的地位の濫用に関する独占禁止法上の考え方」では、取引対価の一方的決定が挙げられています。価格転嫁を求める相手方との協議を行わず、従来どおりの価格に据え置く行為も、状況によっては「対価の一方的決定」と評価され得ます。

特に、公正取引委員会のQ&Α(Q20)では、以下のような行為が問題となる可能性が示されています。

  1. 労務費,原材料価格,エネルギーコスト等のコストの上昇分の取引価格への反映の必要性について,価格の交渉の場において明示的に協議することなく,従来どおりに取引価格を据え置くこと
  2. 労務費,原材料価格,エネルギーコスト等のコストが上昇したため,取引の相手方が取引価格の引上げを求めたにもかかわらず,価格転嫁をしない理由を書面,電子メール等で取引の相手方に回答することなく,従来どおりに取引価格を据え置くこと

これらに該当するか否かは、協議の有無・価格設定の方法・他の取引相手の対価と比べて差別的であるか否か・取引相手の仕入価格との関係・需給状況などを総合的に判断されます。

公正取引委員会の調査結果と価格転嫁についての指針(令和5年)

公正取引委員会が行った調査では、原材料費やエネルギーコストと比べて、労務費の転嫁が特に進んでいない実態が指摘されています。また、サプライチェーンを遡るほど(一次下請→二次下請→三次下請)、転嫁が進みにくい状況も把握されました。
これを踏まえ、公正取引委員会から、令和5年11月に「労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針」が公表され、発注者・受注者双方が採るべき行動が示されています。

この指針の特徴は、指針に沿った取り組みを行っている場合は、通常「十分な協議が行われている」と認められると明記された点にあります。企業としては、この指針が事実上の実務基準となっていることを理解しておく必要があります。

発注者に求められる行動(8項目)

指針では、発注者に対し、以下のような行動が求められています(双方に求められるものを含む)
1 本社(経営トップの関与)
2 発注者側からの定期的な協議の実施
3 説明・資料を求める場合は公表資料とすること
4 サプライチェーン全体での適切な価格転嫁を行うこと
5 要請があれば協議のテーブルにつくこと
6 必要に応じ考え方を提案すること
7 定期的なコミュニケーション
8 交渉記録の作成・保管

特に重要なのは「経営トップの関与」です。経営トップが労務費上昇分の価格転嫁を受け入れる指針を明示し、進捗報告を受けながら必要な対応を指示することが求められています。

受注者に求められる行動(6項目)

受注者側にも以下の行動が求められます
1 相談窓口の活用
2 公表資料を根拠とした説明
3 値上げ要請のタイミングの工夫
4 自ら希望額を提示すること
5 定期的なコミュニケーション
6 交渉記録の作成・保管

受注者においても「協議のプロセス」を丁寧に構築することが重要であり、記録化は不可欠です。

下請法・改正取適法における価格転嫁規制

現行の下請法の位置付け

現行の下請法でも「買いたたき」が禁じられています。労務費・原材料価格、エネルギーコスト等が著しく上昇しているにもかかわらず価格を据え置く行為も、買いたたきに該当し得るとされています。

令和5年指針は、下請法の判断にも用いられるため、独禁法だけでなく下請法遵守の観点からも指針に沿った行動が必要です。

2026年1月施行施行の改正(取適法)

2026年1月施行の改正では、法律名が「中小受託取引適正化法(取適法)」に改められ、適用範囲・手形払い禁止などの規律が強化されます。

本稿のテーマに直接関係するのは、新たに禁止行為として追加される「協議に応じない一方的な代金決定」です。

協議に応じない一方的な代金決定

「協議に応じない一方的な代金決定」とは、中小受託事業者の給付に関する費用の変動その他の事情が生じた場合において、中小受託事業者が製造委託等代金の額に関する協議を求めたにもかかわらず、当該協議に応じず、又は当該協議において中小受託事業者の求めた事項について必要な説明若しくは情報の提供をせず、一方的に製造委託等代金の額を決定することにより、中小受託事業者の利益を不当に害することです。

施行に合わせて改訂される運用基準では、

  • 「費用の変動」には労務費が含まれること
  • 「協議に応じない」には協議の先送りも含まれること
  • 「一方的な決定」には従来価格の据え置きも含まれること

などが明確化されています。

従前の「買いたたき」が結果(価格の低さ)を重視していたのに対し(交渉経緯も判断の一要素ではありましたが)、改正法の「協議に応じない一方的な代金決定」は協議プロセス自体の欠如を直接的に問題とする点が大きな違いです。

まとめ

令和8年1年施行の取適法により、これまで以上に価格転嫁についての「協議プロセス」に注意する必要があります。

企業としては、

  • 経営トップが方針を明示する
  • 定期的な協議の仕組みを設ける
  • 協議結果を記録・保存する
  • 指針に沿った取り組みを実施する

など、サプライチェーン全体で適切な価格転嫁を実現するための内部体制を構築することが不可欠です。

改正法では主務大臣に指導・助言権限が付与されるなど、執行も強化されます。独禁法・下請法(取適法)の双方を意識しながら、適切な協議プロセスを維持することが企業経営においてますます重要となるでしょう。

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